SNSが変えた選挙のかたち、戸惑う私たちの民主主義

はじめに:あの夜、日本が変わった日
2025年7月20日、日曜の夜8時。いつものように始まった選挙の開票速報は、しかし、いつもとは全く違う空気を伝えていました。テレビの画面に映し出された予測議席の数字を見たとき、多くの人が息をのんだのではないでしょうか。それは単なる選挙の勝ち負けではなく、日本の政治が、これから大きく変わっていくのかもしれない、という静かな衝撃でした。
「自民党、歴史的な敗北か」――。
結果として、自民党が獲得した議席は、改選でわずか12議席。消費税が争点となった1989年の選挙さえも下回る、これまでで最も厳しい結果でした。長年続いた政治への不満や、暮らしにくさへの不安が、これほど大きな「NO」という声になったのです。
その一方で、新しい風も吹いていました。これまであまり名前を聞かなかったような新興政党が、驚くほどの躍進を見せたのです。
結党から5年の参政党は14議席を獲得。「日本人ファースト」を合言葉に、YouTubeなどを通じて支持を広げ、国政の舞台に一気に駆け上がりました。
そして、国民民主党も17議席を獲得。「手取りを増やす」という、私たちの生活に身近なメッセージが、特に若い世代の心をつかみました。
この選挙結果は、一体何を意味しているのでしょう。それは、単に自民党が良くなかった、という単純な話ではないのかもしれません。SNSが当たり前になった社会で、人々の価値観や情報の受け取り方が大きく変わり、日本の民主主義そのものが、新しいあり方を模索し始めている。そんな時代の入り口に、私たちは立っているのではないでしょうか。このコラムでは、この選挙が私たちに投げかけた問いを、特に「歴史との向き合い方」という視点から、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。
第1章:違う世界を見ている?世代間のすれ違い

今回の選挙で見えてきた、ひとつの大きな変化。それは、世代によって、見ている世界や感じていることが大きく違う、ということです。
NHKの世論調査をのぞいてみると、その違いに驚かされます。石破内閣の支持率は、70歳以上の方々の間では45%と高いのに、30代以下の若い世代では13%にとどまっています。これほどまでに、意見が分かれているのです。
その背景には、普段どんなものから情報を得ているかの違いがありそうです。ご年配の世代がテレビや新聞に親しんでいる一方で、若い世代にとってはSNSやYouTubeが主な情報源です。参政党や国民民主党は、まさにその新しいメディアを使いこなし、テレビや新聞では届きにくい層へ、直接、心に響くメッセージを届けることに成功しました。
また、特定の政党を支持しない「無党派層」の人々の動きも、これまでとは大きく違いました。出口調査では、無党派層の多くが野党に投票し、中でも国民民主党が一番の支持を集めたといいます。これは、今までの政治に物足りなさを感じ、新しい選択肢に期待を寄せた人が多かった、ということなのでしょう。
SNSが可能にした「わかりやすさ」や「共感」は、政治を身近にしてくれました。でも、その手軽さの中には、少しだけ立ち止まって考えたい点も隠されているようです。複雑な問題をシンプルに語る言葉の裏側には、何があるのか。その先に待っているのは、どんな未来なのでしょうか。
第2章:過去とどう向き合う?参政党が投げかけた問い
今回の選挙で大きな注目を集めた参政党。「投票したい政党がないなら、自分たちでつくろう」という想いから生まれた、手作りの市民政党です。その純粋な熱意が、多くの人々の心を動かしたことは間違いありません。
ただ、その一方で、彼らの主張の中には、私たちの社会が大切にしてきた価値観と関わる、少し心配な点も含まれています。それは、日本の近代史、特に戦争中の出来事について、これまで語られてきたのとは違う見方を広めようとする動き、いわゆる**「歴史修正主義」**とも呼ばれる考え方です。

SNSの中で広がる、もうひとつの「真実」
歴史をどう見るか、という問題はとてもデリケートです。そして、参政党が訴える主張に共鳴するように、南京事件や731部隊といった出来事について、「本当はそんなことはなかった」「話が大きくなっているだけだ」といった声も、これまで以上に大きく聞かれるようになりました。
- 「当時の南京の人口を考えれば、30万人も犠牲者が出るのはおかしい」
- 「戦争体験者の証言は、個人の記憶違いや、誰かの意図が働いた嘘かもしれない」
- 「そもそも、戦争に勝った国が作った歴史には、偏りがあるのではないか」
こうした声は、以前はごく一部でささやかれるものでした。しかし今、SNSやYouTubeが、これらの意見を多くの人に届ける強力なツールになっています。アルゴリズムは、私たちの興味や関心に合わせて、似たような意見ばかりを表示しがちです。すると、いつの間にか、その考え方がまるで世界の常識であるかのように感じられてしまう、「エコーチェンバー」という現象が起こります。
そうして、学術的な研究や多くの証言によって確かめられてきた歴史とは別の、「もうひとつの真実」が、SNSの中に生まれていくのです。
忘れられる痛み、傷つく人々
過去の出来事を「なかったこと」にしようとする動きは、単なる意見の違いでは終わりません。それは、実際にその時代を生きて、深く傷ついた人々の記憶と尊厳を、もう一度傷つけることにもつながります。
731部隊に「少年隊員」として所属した清水英男さん(95)は、戦後70年もの間、心にしまい込んできた凄惨な光景を、勇気を出して語り始めました。しかし、その告白に対して、SNS上では「嘘つき」「迷惑な老人」といった言葉が投げつけられました。国が過去の事実について曖昧な態度をとり続ける中で、たった一人で証言に立つ人が、いかに無防備で、孤独な立場に置かれているかがわかります。
長崎の原爆資料館や、全国の平和博物館でも、日本の加害の歴史を伝える展示を縮小・撤去しようとする動きが起きています。
「日本人ファースト」という言葉は、心地よく響くかもしれません。でも、自国の「素晴らしさ」を語るために、過去の過ちから目をそむけてしまうなら、それはとても危ういことではないでしょうか。歴史を修正しようとする動きは、しばしば他者を排除する「内向きな考え方」と結びつきます。それは、世界中の人々と共に生きていくこれからの日本にとって、決してプラスにはならないはずです。
第3章:暮らしに寄り添う政治へ 国民民主党の挑戦
対照的に、国民民主党が見せた躍進は、政治の新しい可能性を感じさせてくれます。「手取りを増やす」という、私たちの毎日の暮らしに直結する具体的な目標を掲げ、多くの共感を呼びました。イデオロギーの対立ではなく、生活者の目線で政策を語る姿勢は、今の政治に求められている大切なことかもしれません。
特に、若い世代から高い支持を得たことは、彼らが抱える経済的な不安に、国民民主党のメッセージがまっすぐ届いた証拠でしょう。
もちろん、彼らの政策にも「その財源はどうするの?」といった課題は残ります。「増税せずに税収を増やす」というのは理想ですが、その実現は簡単ではありません。これから、理想だけでなく、現実的な答えをどう示していくのかが問われていくことになります。
第4章:これからの民主主義のために、私たちにできること
2025年の選挙は、SNS時代の民主主義の難しさと可能性を、私たちに見せてくれました。では、この新しい時代の中で、私たちはどうすれば、より良い社会を築いていけるのでしょうか。
まず大切なのは、私たち一人ひとりが、情報の受け取り方を少しだけアップデートしていくことかもしれません。「バズっている」動画や、感情を揺さぶる言葉に出会ったとき、すぐに「いいね」を押す前に、「これは本当かな?」「別の見方はないかな?」と、一歩立ち止まって考えてみる。いろいろな情報源を比べてみる。そんな小さな習慣が、社会の分断を防ぐ力になるはずです。
そして、メディアやジャーナリズムに期待したい役割も大きくなっています。ただ事実を伝えるだけでなく、なぜそのような出来事が起きたのか、その背景にある複雑な問題を、若い世代にもわかる言葉で、丁寧に紐解いてほしいのです。フェイクニュースや人を傷つける言葉には、きちんと「それは違います」と声を上げる姿勢も、これまで以上に重要になっています。
また、子どもたちの教育も、未来を考える上で欠かせません。自国の歴史に誇りを持つことと、過去の過ちから謙虚に学ぶことは、対立することではありません。むしろ、光も影も、ありのままの歴史を知ることこそが、本当の意味で自分の国を愛し、他者を尊重する心を育むのではないでしょうか。
歴史の事実を伝えようと奮闘している博物館の方々や、勇気を持って体験を語り継ぐ人たち。そうした人々を、社会全体で応援し、支えていくことも、今の私たちにできる大切なことだと思います。

おわりに:未来のバトンを、どうつないでいくか
2025年の参議院選挙は、日本の社会が大きな変化の時を迎えていることを教えてくれました。SNSは、私たちの声を政治に届けるための新しい扉を開いてくれましたが、同時に、人々を分断する危うさも持っています。
新しい政党の登場は、停滞していた政治に新しい風を吹き込みました。大切なのは、そのエネルギーを、誰かを排除するのではなく、みんなが暮らしやすい社会を作るための、前向きな力に変えていくことではないでしょうか。
今、私たちに問われているのは、難しい問題から目をそらさず、冷静に事実を見つめる知性。そして、自分とは違う意見にも耳を傾け、対話を通じて答えを見つけていこうとする、民主主義の基本的な姿勢なのかもしれません。
過去の教訓を忘れ、道を誤ってしまうのか。それとも、痛みや過ちも含めて過去と向き合い、より成熟した社会へと一歩を踏み出すのか。その選択のバトンは、私たち一人ひとりの手に託されています。
