ある日突然、毎晩見ていたはずの人気トーク番組がテレビから姿を消した。視聴率が下がったわけでも、司会者が不祥事を起こしたわけでもない。原因は、たった数分間のモノローグ。司会者が放った、政権に少し批判的なジョークだったのである。
「ジミー・キンメル・ライブ!」の無期限放送停止。この一報に、多くの人が「一体何が起きたんだ?」と混乱し、「冗談だろう?」と我が耳を疑ったのではないか。しかし、これは冗談ではない。一つの番組が、実に巧妙なやり方で社会から「消された」という、紛れもない現実なのだ。
その経緯は、まるでよくできた政治サスペンスだ。
- 人気司会者が、時の大統領の支持者を皮肉るジョークを言う。
- その発言がSNSで切り取られ、政治問題として「炎上」させられる。
- すかさず政府の息のかかった規制機関(FCC)のトップが、「放送免許を取り消すぞ」とテレビ局を脅す。
- その脅しに怯えたのか、最大の系列放送局グループが番組の放送を取りやめる。
- 親会社である巨大メディア企業は、政府と系列局からの二重の圧力に屈し、番組の打ち切りを決定する。
ここに銃や法律は登場しない。しかし、行われたのは紛れもない「言論への圧力」だ。専門用語で「ジョーボーニング(Jawboning)」、すなわち「公権力による脅し」とでも言うべき手法である。政府は直接手を下さず、規制権限をチラつかせて民間企業を「自主的」に動かす。その結果、政府に都合の悪い口は、まるで最初から存在しなかったかのように塞がれてしまうのだ。
今回の件で真に恐ろしいのは、多くの人が「まあ、過激な発言をした司会者も悪い」「企業が経営判断をしただけ」と、いとも簡単に納得してしまうことだろう。しかし、問題の本質はそこにはない。政治家や権力者を風刺し、笑い飛ばすことこそ、民主主義社会におけるコメディアンの、そしてメディアの重要な役割のはずだ。その口を「脅し」によって封じることが許されるなら、これから一体誰が権力に物申すというのか。
テレビ局は今後、政府を刺激するような企画を避けるようになるだろう。コメディアンは当たり障りのないジョークしか言わなくなり、ニュースキャスターは政権の顔色をうかがうようになるかもしれない。それは、我々が知る「テレビ」の死であり、社会から健全な批判精神が失われていく始まりに他ならない。
ジミー・キンメル氏の番組が失ったのは、一夜の放送枠だけではないのだ。我々が失ったのは、「権力は笑い飛ばしてもいい」という、自由な社会の大切な原則そのものなのかもしれない。次にテレビから消されるのは、一体誰の、どんな「言葉」になるのだろうか。
