いつからだったでしょうか。スーパーでシャンプーや洗剤を選ぶとき、無意識に「詰め替え用」をカゴに入れるようになったのは。「ゴミを減らせるし、そのぶん価格も安いはず」。環境へのささやかな貢献と、家計への優しさ。その二つを同時に満たしてくれる詰め替え用は、賢い大人の選択だと信じて疑いませんでした。
あの日、特売の棚に並ぶ本体ボトルを見るまでは。
ふと、本当に詰め替え用は安いのだろうか、という素朴な疑問が頭をよぎったのです。スマートフォンを取り出し、電卓を起動します。特売の本体価格を内容量で割り、次に詰め替え用の価格を内容量で割る。画面に表示された二つの数字に、私は思わず「え?」と声を漏らしそうになりました。
1mlあたりの価格が、本体ボトルのほうが安いのです。

電卓片手に知った「お得」の裏側
その日から、私の買い物は、ただ商品をカゴに入れる作業から、表示の裏にある事実を読み解く主体的な時間に変わったのです。そして、調べれば調べるほど、私の「詰め替え用=お得」という常識は、ガラガラと音を立てて崩れていきました。
もちろん、明らかに安い詰め替え用もある。しかし、「ほとんどが高い、あるいは大差ない」というのが、私の出した結論でした。
それは単なる「お試し価格」のような一時的なものではありませんでした。ドラッグストアでも、地元のスーパーでも、場所を変えてもこの価格の逆転現象は当たり前のように存在したのです。メーカーや小売店が一体となって本体価格を戦略的に低く設定し、リピーターが買う詰め替え用で利益を確保する。そんな巧みな価格設定を前に、私たちの「安いはず」という思い込みはあまりにも無防備だったのかもしれません。それは少し悔しい発見であると同時に、自分の目で見極めることの大切さを教えてくれる、貴重な教訓でもありました。
第二の壁――「エコ」と「衛生」のジレンマ
価格への疑いが晴れた頃、私はもう一つの壁にぶつかりました。詰め替えを繰り返すうち、ボトルの内側に潜む目に見えないぬめりや、ポンプの隙間にこびりついた黒ずみが、どうしても気になってしまったのです。

「ゴミを減らしたい」という環境を思う気持ち。しかし、そのために家族が使うものを不衛生な容器に入れ続けるのは、本末転倒ではないか。そう気になってメーカーのサイトを調べると、やはり…洗浄して「完全に乾燥」させることが推奨されています。ですが、湿気の多い浴室で使うボトルを、毎回完璧に乾かすのは正直なところ骨が折れます。それでも雑菌やカビのリスクを考えると、この手間は決して無視できないのです。
エコな選択は、時として見えない「手間」や「衛生リスク」というコストを私たちに課す。その現実が、ずしりと重くのしかかってきました。
私の新しい「ものさし」
だから、私は詰め替え用を買うのを”やめました”。
もちろん、これは「二度と買わない」という完全な決別宣言ではありません。「何も考えずに、ただ習慣で選ぶのをやめた」という意味です。今の私には、商品を選ぶための新しい「ものさし」があります。
- 価格は本当に安いか? ― まずは電卓で単価を冷静に比較します。
- 手間をかけられるか? ― 容器を丁寧に洗い、乾かす時間と心の余裕が今の自分にあるか、考えます。
- 衛生的に大丈夫か? ― この本体ボトル、もう何回も使っていないだろうか。そろそろボトルごと新しくすべきタイミングではないか、と見直します。
この三つの問いに「イエス」と答えられたときだけ、私は詰め替え用をカゴに入れます。時には、真新しい本体ボトルを選ぶこともあります。その選択は、環境への小さな罪悪感ではなく、「衛生と手間を優先した、今の自分にとってのベストな判断だ」という納得感を伴うようになりました。
私たちの日常は、無数の選択でできています。「エコだから」「お得だから」という大きな正しさも大切ですが、日々の暮らしを快適に、そして健やかに保つための、自分だけの小さな「ものさし」を持つこと。それこそが、情報に振り回されない、賢い選択なのかもしれません。
私の買い物カゴの中身は、以前と少しだけ変わりました。けれど、その一つ一つの選択には、自分なりの考えと納得が込められているのです。
